マルチェロ・ガンディーニ▲2024年3月に85歳でこの世を去ったカーデザインの巨匠、マルチェロ・ガンディーニ。上の写真は彼が2024年1月にトリノ工科大学の機械工学名誉学位授与式でスピーチを行った際の様子

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それ故に車好きを喜ばせるエピソードが生まれやすい。しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。今回は伝説の車たちの“生みの親”であり、2024年3月にこの世を去ったマルチェロ・ガンディーニをしのび、“スーパーカーのデザイナー”としての彼を紹介しよう。
 

ライバルのジウジアーロより存在感を放っていた

“神”がお隠れになってしまった。

2024年3月13日にカーデザイナーの巨匠であるマルチェロ・ガンディーニが亡くなってしまったのだ。85歳であった。ジョルジェット・ジウジアーロ、レオナルド・フィオラヴァンティという2人のスーパーカー界におけるビッグネームも、彼と同じく1938年生まれであるのも偶然のことであろうか。

特にガンディーニのライバルと称されたのはジウジアーロだ。ランボルギーニ ミウラのスタイリング開発において2人の仕事が微妙に関わったことも、そのように言われる一因である。いずれにしても、2人はカーデザイン史に残るスーパーカーを何台も手がけたのであるから、まさにライバルにふさわしい両巨頭であることは間違いない。

しかし、”スーパーカーのデザイナー”という観点で見るなら、ジウジアーロというよりもガンディーニの方に存在感があるように思えるのだが、皆様はどのように考えられるであろうか。私の偏見に満ちた幾つかの理由を、以下にしたためてみた。
 

スーパーカーのアイコンたるランボルギーニ カウンタックをデザイン

ランボルギーニ カウンタック▲スーパーカーを代表するモデルであるランボルギーニ カウンタック

ランボルギーニ カウンタック。この誰もが驚きの声を上げるかのような、ユニークなスタイリングを生み出したという点でポイントが高い。フロントからリアに一直線の“ワンモーション”なプロポーションを採用し、キャビンを前方に配置した“キャブフォワード”レイアウトは、歴代ランボルギーニモデルのDNAとしていまでも採用されている。

ランボルギーニのみならず、次々と誕生した世界中のスーパーカーの多くはそれをなぞった。まさにスーパーカースタイリングの試金石とも言えよう。
 

神がかったライフスタイル

スタジオ▲彼のスタジオは修道院をリノベーションしたヴィラであった

ジウジアーロはイタルデザインを設立し、ビジネスマンとしての大成功も手中に収めた。彼は“公人”として自動車業界を牛耳る重要人物となった。それに対して、ガンディーニは対極にある。

ベルトーネを離れた後はフリーランスとしてプライベートなデザインオフィスを開いた。規模の拡大は好まず、奥様をはじめとするファミリーがそのマネージメントに参加したし、モデリング作業は気心知れた職人に外注した。その住まいもイタリアとフランス国境近くの小さな村に構え、古いヴィラを自らリノベーションするというこだわりよう。馬を従えて敷地内に佇む彼を見て筆者は思った。「彼は神なのか? 」
 

無冠の帝王

ランボルギーニ カウンタック 25thアニバーサリー▲カウンタックの最終モデルとなる「25thアニバーサリー」。スタイリングはオラチオ・パガーニが手がけている
ランボルギーニ ディアブロ▲カウンタックの後継として登場したディアブロ。ガンディーニがデザインしたプロトタイプ(プロジェクト132)がスタイリングのベースになっている

ジウジアーロが“世紀のデザイナー”として殿堂入りし、大学の名誉教授など多くの名誉職を引き受けたのに対して、ガンディーニはひたすら謙虚だ。名誉職などのお誘いに関してはことごとく断っている。ランボルギーニがラインオフした最終ロットのカウンタック 25thアニバーサリーを記念として「もらってください」とオファーしたが、彼の答えは「いりません」。なんとも欲がない。

ランボルギーニ ディアブロのプロモーションに関して、当時のオーナーであったリー・アイアコッカによる再三の要請にもかかわらず、イベント参加やスピーチをかたくなに断ったことも有名である。しかし、ワガママで断ったということだけではなかった。「私のスピーチよりもこういった絵を参加者に渡す方が喜ぶでしょう」と、新たにオリジナルのスケッチを描き下ろし、手渡したというこだわりのエピソードもある。まさに孤高のアーティストではないか。
 

シャイで“神秘的”

ストーラ S81▲ガンディーニ最後の作品といえる、2000年のトリノショーに出品されたコンセプトモデル「ストーラ S81」

アーティストとして、とんでもない厳しさとこだわりを持つという点ではジウジアーロもガンディーニも同じだ。しかしジウジアーロは、誰にでも気さくで、外交的に振る舞うことでも有名だ。だからメーカーのトップたちとも親密な交友関係を持っている。それに対して、ガンディーニは非常にシャイだ。特に初対面のときなどは警戒心丸出しという感じで、写真撮影に笑顔で応じるようなことも希だ。しかし、いったん仲良くなればとてもフレンドリーだし、細かい気遣いも素敵なジェントルマンであることもまた事実ではあるのだが。

ジウジアーロが甲高い声で叫ぶように会話するのに対して、ガンディーニはうつむいてボソボソと語る。どちらも個性的ではあるが、スーパーカーという非日常をデザインする人物としてみるなら、ガンディーニの方が神秘的で、それらしいように感じさせはしまいか。
 

マルチェロ・ガンディーニ▲機械工学名誉学位授与式の際、自身がデザインしたランボルギーニ カウンタックの傍らに立つガンディーニ
マルチェロ・ガンディーニ▲授与式では、ガンディーニがデザインした数々の名車が中庭に並べられた

年明けの2024年1月12日にトリノ工科大学にてマルチェロ・ガンディーニの機械工学名誉学位授与式が開催され、彼のデザインした歴代の車たちが大学の中庭に並ぶというニュースが届いた。そこでは彼がスピーチを行うという希有な場面があった。

果たして彼のスピーチは素晴らしいものであった。まさに彼の生き様と次世代へのエールが凝縮された名文である。結果的にこのスピーチが彼の遺書のようなものになってしまったのだが、この経緯自体もまさに神がかっているではないか。謹んで氏のご冥福をお祈りしたい。
 

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文、写真=越湖信一、写真=アウトモビリ・ランボルギーニ
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。