日産 XVL(1999年東京モーターショー)→スカイライン(2001年)

1999年3月、日産自動車はフランスのルノーとアライアンスを締結した。販売不振でまさに瀕死の重傷であった日産に選択の余地は残されていなかったのだ。そして社長として、あのカルロス・ゴーン氏が日産にやってくる。

ゴーン時代が始まると、サニーやブルーバードといった、古い日産を代表するブランドが続々と消えて行き、スカイラインもその一つになるだろうと言われていた。事実、のちにV35スカイラインのベースとなる、1999年の東京モーターショーに出展されたコンセプトカーは「XVL」と呼ばれていた。モーターショーを特集した当時の某雑誌にも、XVLのページに「スカイライン」という文字はなかった。

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このXVLが、2001年に「11代目スカイライン」になるとは、誰が予想し得ただろうか。しかしリアスタイルは、伝統の丸目4灯が引き継がれている

新しいハイエンド向けセダンが出る?

日産XVL エンジン | 日刊カーセンサー XVLのスペックは全長4680×全幅1750×全高1480mm。セドリックと同じNAの3LのV6 DOHCエンジンを搭載し、エクストロイドCVTを採用していた。このミッションは、セドリック/グロリアに積まれた、大排気量FR車専用の無段変速機である。市販化はまちがいないと思われる完成度であったが、このモデルが「スカイライン」と名乗ることは直前まで誰もが想像していなかった。

開発テーマは「次世代の価値観を革新するプレミアムセダン」ということで、プラットフォームにも、新設計が施された。キセノンヘッドランプが付いた大きなライトや、グリルの印象が、ゆったりとした余裕を感じさせる。おおかたの人々が「新しいハイクラスセダンが出るのね」と思っていたのだが…。

ゴーン・マジックが真価を発揮

日産 スカイライン インパネ | 日刊カーセンサーそのためこのモデルが2001年6月に11代目スカイラインとしてデビューしたときの驚きはハンパではなかった。一説には開発スタッフすら、この車がスカイラインになるとは思っていなかったとか。そしてこの判断は、ゴーン氏がトップダウンで行ったとも言われている。

全長4675×全幅1750×全高1470(2.5L)/1485(3.0L)mm。エンジンは直噴V6、2.5Lと3Lの2種類が用意されていた。サニーやブルーバードなどはいわば使い古されたブランドであったが、スカイラインは厳然として生き続け、そして圧倒的な知名度を誇っていたことをゴーン氏は理解していたようだ。「直6でもなければ丸いテールランプでもない車なのに…」と、批判的なカーマニアも多かったが、外国人社長特有の、しがらみのない判断力が、後に開花することになる。

直6エンジンで、凝り固まったコンセプトをもち、身動きのとれなかった歴代スカイライン。それとは異なり、グローバルプラットフォームを採用し、V型エンジンという、とくに北米で歓迎されやすいこのモデルは、北米でインフニティブランドの「G」シリーズとしてデビューすると、「スカイラインが、おらが国にもやってきた」ではないが、たちまち人気を博すようになる。スカイラインというブランド力は、ほとんど輸出されていない海外市場でも絶大なのである。しかし、そのスカイラインをあえて海外市場で名乗らせないところがまた神格化され、「ゴーンマジック」の一つとして、消費者の購買意欲をそそるのかもしれない。「外国人社長のきまぐれか?」などと皮肉る人もいたが、世界市場では成功した一台といえよう。

2006年4月には新世代になって初めてのフルモデルチェンジを実施。走りの性能中心に、格段にレベルアップがなされた。

歴代スカイラインを否定するつもりはない。歴代スカイラインにはそれなりのブランド力もあるし、支持もある。しかし、その歴史がときとして重圧となってしまった。

新世代のスカイラインを歴代スカイラインと同列に扱うことは難しい。それは日産という企業がルノーとのアライアンスで大きく変化してしまったからだ。しかし、「技術の日産」と言われてきたように、車の開発に取り組む姿勢が不変であることについては、十分伝わってくる。