星野一義


車で我々に夢を提供してくれている様々なスペシャリストたち。連載「スペシャリストのTea Time」は、そんなスペシャリストたちの休憩中に、一緒にお茶をしながらお話を伺うゆるふわ企画。

今回は、レースで多くの優勝実績を残し、「日本一速い男」と呼ばれるレーシングドライバーの星野一義さんとの“Tea Time”。
 

星野一義

語り

星野一義

ほしの・かずよし/1947年7月1日、静岡県生まれ。1969年に日産自動車ドライバーとして契約し、四輪レースデビュー。以降、常に闘争心をムキ出しにした熱い走りで多くの優勝実績を残し、「日本一速い男」と呼ばれる。現在は、SUPER GTなどで監督を務める傍ら、エアロやチューニングパーツの開発・販売を行う「ホシノインパル」の代表として、多くの魅力的なカスタムカーを作り出している。

よれよれの服着てちゃいい車は作れない

現役時代は「日本一速い男」といわれていたけど、今は「日本一借金の多い男」だよ(笑)。

「IMPUL(インパル)」というブランドをもっと多くの人に知ってほしいからね。そのためには金がかかるけど、借金を返すために74歳になった今も一生懸命働いてるよ。

自分を追い込むことで働く“理由”を作ってるのかもしれない。そうじゃなきゃもうとっくに引退してるんじゃないかな。おかげで、医者からは「星野さん、今の生活をしていれば絶対ボケないから!」ってお墨付きをもらっているよ。

今朝も30分ランニングしてきたよ。1日おきに走ってるから足腰はバリバリだし、体の調子がいいんだよね。昔はトレーニングなんて大嫌いだったのに、なんでこんな人間になっちゃったんだろう(笑)。

趣味は野球とゴルフ。プロ野球はいつも見てるよ。レースはぜんぜん見ないのに(笑)。ひいきのチームが負けると、本当に悔しくて、テレビの前で声を上げることもあるよ。

買い物はもっぱら洋服が多いかな。時間があると青山や原宿に行って、いろんなファッションを見て、勉強してる。ヨレヨレのスウェットを着てパチンコやってるだけじゃ、いい車は作れないってのがオレの考え。センスを磨かないとね。

海外に行ったとき、タキシードにTシャツ、ダメージジーンズにスニーカー、なんてオヤジを見かけたけど、ああいうふうに着こなしたいよね。なかなか難しいんだけどさ。
 

星野一義

日本全国のカーショップをひたすら回って頭を下げた

IMPULを立ち上げたのはもう40年前。レース参戦の資金を稼ぎたかったのと、引退後の人生を考えたということもあったね。

当時日本のレースでは軒並みチャンピオンを取ってたし、F1も走った。アクセル踏むのには絶対の自信があったけど、商売は別。商才がないことはよくわかってたから、あいさつ回りに行くのにも緊張したね。

最初に行ったショップでは名刺を渡す手が震えていたのを覚えてる。それから2年間、全国ほとんどすべてのカーショップを回ったね。1日5、6軒、飛び込みで行くんだけど、「買ってください」とは言わずに「なにかあれば声をかけてください」と頭を下げる。

週の前半は営業回り、半ばからはレースという生活を続けてた。めちゃくちゃ疲れたけど、おかげで「ハンドルの人生がなくなっても、家族を食わせていけるかも」と自信がついたね。

名前だけじゃ商売はできない。コツコツ地道にやるのが大事なんだよ。
 

星野一義 ▲日産車を中心にカスタムパーツを開発するIMPULは、長年にわたり多くのファンを魅了し続けている

息子がレーサーになるのは絶対に反対だった

息子の一樹はレーシングドライバーになったけど(SUPER GT300クラスで2度のチャンピオンとなり、2021年シーズンにて引退)、オレはずっと反対してた。

プロほど厳しいものはないということは、自分がいちばん知っていたから。だからこそ、普通に学校を出て、普通に勤めてほしかったんだよ。

一樹は子供の頃からずっと「レースをやりたい」と言ってきたけど、絶対にやらせなかった。そのことで女房とケンカもしたし、学校の先生に「カートぐらいやらせてあげてください」と言われたこともあったよ。

でも、「遊びならいいけど、プロを目指すのはダメだ」と跳ね返した。大学を出た息子から「ここから先はオレの人生だ」と言われたときには、もう何にも言えなかったけどね。

そろそろ息子に会社を任せてのんびりしたい気持ちもあるけど、もう少し借金を減らしてからだな(笑)。

月に数十台でいいから、「インパル仕様のセレナください」「インパル仕様のスカイラインください」ってお客さんが来てくれるようにしたいね。それまでもう少しがんばるから、よろしくね!
 

星野一義 ▲息子の一樹氏との2ショット。レース現場での厳しい表情とはうって変わり、おのずと優しい表情に。今後も親子で自動車業界を盛り上げてくれるはずだ!
文/河西啓介、写真/阿部昌也
※情報誌カーセンサー 2022年2月号(2021年12月20日発売)の記事「スペシャリストのTea Time」をWEB用に再構成して掲載しています
河西啓介

インタビュアー

河西啓介

1967年生まれ。自動車やバイク雑誌の編集長を務めたのち、現在も編集/ライターとして多くの媒体に携わっている。また、「モーターライフスタイリスト」としてラジオやテレビ、イベントなどで活躍。アラフィフの男たちが「武道館ライブを目指す」という目標を掲げ結成されたバンド「ROAD to BUDOKAN」のボーカルを担当。