▲ブルーバードの派生モデルとして1988年に誕生したFF4ドアセダンの日産 マキシマ ▲ブルーバードの派生モデルとして1988年に誕生したFF4ドアセダンの日産 マキシマ

日産のハイオーナー・セダン

日産 マキシマは現在でも海外ではその名を残しているが、日本では1994年を境に姿を消した。ちなみに日本におけるマキシマはセフィーロになり、やがてティアナへと変遷を遂げていった。

今までは4気筒モデルであったブルーバードに、上級仕様として6気筒エンジンを積んだものが「ブルーバード・マキシマ」としてラインナップされていた。

しかし、1988年に登場した3代目となって初めて“独立モデル”「マキシマ」として発売されることになった。

覚えている人はほとんどいないだろうが、デーブ・スペクター、ケント・ギルバート、ケント・デリカット、チャック・ウィルソンの4人のアメリカ人タレントが、マキシマのテレビCMに出ていた。

キャッチフレーズは「ドライバーズシートに座ってマックス・リラックス、リアシートに座ってマックス・リラックス、デラックスよりリラックス」だった。あらゆる面において、最大限リラックスできる、という開発意図を言葉にしていた。

この頃、日産ではこの手の“中堅どころ”のセダンを「ハイオーナー・セダン」と呼んでいた。いわゆる自らステアリングを握るオーナーズ・セダンの中でも、上級志向なものを指していたそうだ。

メイン市場はアメリカで、材質はシンプルながらも“本物志向”という路線で攻めた。開発の際に参考としたのは洋服や住宅だった、という。運転する人や乗る人に、余裕やゆとりを感じさせる作りを目指したそうだ。

というわけで、3L V6エンジンを搭載したマキシマは、先代のブルーバード・マキシマと比べると全幅は70mmも拡大している。全席で余裕とゆとりを感じさせ、日本では3ナンバー車両となった。

この頃、3ナンバー車というだけで、高級車というイメージがあったのも事実。

3L V6エンジンは最高出力160ps、最大トルク25.3kgmだった。めちゃめちゃパワフルだったり、トルクフルだったりというわけではなかったが、車両重量1360~1370kgのマキシマには余裕を感じさせるものだった。

日産で初めて四輪ABSを採用した

▲バブルの真っただ中に登場したが、決して派手さはなく“本物志向”のモデルだった ▲バブルの真っただ中に登場したが、決して派手さはなく“本物志向”のモデルだった

マキシマには、TYPE Iと呼ばれるエントリーモデル、TYPE IIという上級モデル、そしてSEというスポーティモデルのグレードがあった。全車、日産では初めて四輪ABSを標準装備していたことが話題となった。また、全車、ATの変速モードをパワー、オート、ホールドと3モードで切り替えができる、「DUET-EA」を備えていた。

TYPE IIには、ステアリング特性とサスペンションの減衰力をスポーツとコンフォートの2モード選ぶことができる、「DUET-SS」と呼ばれる機能が装備されていた。なるべくギミックを排除した本物志向だったのだが、日本車の象徴だった“ハイテク”装備はしっかり搭載されていた。

いくら本物志向のハイオーナー・セダンだったとはいえ、マキシマがデビューした1988年は……バブル真っ只中。とにかく高いもの、ギラギラしたものが売れた時代。

多くのバブル紳士・淑女は日産 シーマ、トヨタ セルシオ、はたまたガイシャに夢中だったことは否めない。

同時期のシーマやセルシオの中古車は今でもそこそこ見かけるが、マキシマは本当に絶滅間近であることがうかがえる。

バブル期にあえて“控えめ”な高級車だったマキシマを、このご時世に味わうのもおしゃれだと思う。

ちょっとでも気になった方は、中古車物件をチェックしてみてほしい!

▲搭載されるエンジンは3L V6エンジン。決してパワフルではないが、リラックスして乗るには十分なものだ ▲搭載されるエンジンは3L V6エンジン。決してパワフルではないが、リラックスして乗るには十分なものだ
▲2019年3月29日時点で、掲載台数はたった2台。登場から30年近く経つモデルのため、購入するにはある程度の覚悟が必要だが、気になったらすぐにチェックしてほしい! ▲2019年3月29日時点で、掲載台数はたった2台。登場から30年近く経つモデルのため、購入するにはある程度の覚悟が必要だが、気になったらすぐにチェックしてほしい!
text/古賀貴司(自動車王国)
photo/日産

▼検索条件

日産 マキシマ(初代)