Lamborghini Miura P400

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2014年11月7日、日本のモータージャーナリズムの巨匠、徳大寺有恒氏が他界されました。日本の自動車文化に多大な貢献をされた徳大寺さんを偲び、カーセンサーEDGEに約5年にわたり連載された「VINTAGE EDGE×徳大寺有恒」を美しい写真と巨匠の一言とともに振り返ります。今回は、「Lamborghini Miura P400」、「Ferrari Dino 206GT」、「Aston Martin V8 series 2」、「Mercedes-Benz 300SL」です。実際に掲載された記事をPDFで公開しています。

【Lamborghini Miura P400】 クルマの枠を超え、後世に残す芸術品なんだよ

Lamborghini Miura P400

1965年のトリノショーに、ボディのないシャシーだけのプロトタイプ「P400」を出品。翌66年のジュネーブショーで、ベルトーネデザインの精悍なボディを纏い、スペインで最も勇敢な闘牛の名を冠した「ミウラ」は発表された。ウェーバーキャブを4連装し、最高出力350psを発揮する4L V12エンジンをミッドシップに横向きで搭載。このエンジンは68年のP400S、71年のP400SVと進化する中で385psまでパワーアップする。そして、このV12ユニットは、カウンタックへと譲られることになる。一方ボディは、レーシングカーのように前後のカウルが上へ開き、エンジンはおろか、サスペンションやミッションなど全体が見ることができる。また、ヘッドランプはポップアップ式で、ランプのまわりの睫毛を思わせる飾りがミウラの象徴となっている。発表当初は数台の限定生産を考えていたランボルギーニだが、各方面からの多数のオーダーは、このスーパースポーツの量産を決断させるには充分な数であった。最終的にミウラは66年から73年までの間に約750台が生産。ミウラに触発されたフェラーリは365GTB/4デイトナを、マセラティはギブリを発表。これによってスーパースポーツの全盛時代に突入したことを付け加えておきたい。



【Ferrari Dino 206GT】 フェラーリの源流がこの車には宿っている

Ferrari Dino 206GT

エンツォ・フェラーリ最愛の息子の名を冠したディーノ206GTは67年に発売を開始。V6、2Lとフェラーリとしては小排気量のエンジンを搭載した206GTは、246GTへその座を譲るまでわずか150台ほどしか生産されなかった。ピニンファリーナがデザインした美しいボディは、いまもなお史上最高のフェラーリと称賛する人も少なくない。206GTは246GTに比べホイールベース、全長ともに短く、よりコンパクトな印象。搭載される65度V6・DOHCエンジンは180psのパワーを発揮する。わずか900kgという車重に、ミッドシップというレイアウトは、当時のロードゴーイングカーの常識を覆す素晴らしいハンドリングを実現した。



【Aston Martin V8 series 2】 世界最高のブリティッシュサルーンとして憧れの一台だった

Aston Martin V8 series 2

72年にアストンマーティンの経営権がデヴィド・ブラウンから、カンパニー・ディベロップメンツに移った直後に発表された改良型V8。ノーズやフロントフェンダーに付くエンブレムから「David Brown」の文字が消えたのもこのモデルから。エンジンは、ル・マン用ユニットから発展したV8DOHC。ギアボックスはZFの5速MTが標準で、クライスラーのトークフライト3速ATも選べた。その後77年には高性能版のヴァンテージを復活させ、78年夏にはオープンのボランテも加わり、V8は89年までに2000台以上、ボランテは800台以上生産された。



【Mercedes-Benz 300SL】 伝説のスポーツカーでありながらフェラーリより安かったんだよ

Mercedes-Benz 300SL

1954年のニューヨークショーにデビューしたメルセデス・ベンツ300SL。精悍なフロントマスクに銀色のボディ。上方に大きく跳ね上がるガルウィング式ドア、ホイールアーチ上のフィンなどその流麗なスタイリングのすべてが人々の目を奪うものだった。エンジンも量産車としては世界初のガソリン燃料噴射を装着し、215psという当時の3L級としては驚くべきパワーを発揮。最速ファイナルギア装着車では最高速265㎞/hに達した。同モデルのレース仕様車300SLRは、1955年のミッレ・ミリアでモス/ジェンキンソン組が優勝。シルバーアローの栄光を確固たるものとした。