▲オーバースライダーを全開にすると、まるでショーケースに収まったモデルカーのような絵が現れる ▲オーバースライダーを全開にすると、まるでショーケースに収まったモデルカーのような絵が現れる

アストンが庭の中央にスライドするガレージ|建築家・池上和宏(株式会社 平成建設)

今回訪れた場所は、静岡県田方郡函南町。静岡県東部に位置し、箱根とも隣接する位置関係にある。周囲を深い緑に囲まれた閑静な住宅街の一画に、目指すS邸はあった。

石垣やウッドテラスが巧みにデザインされた美しい庭が特徴で、その中に白いオーバースライダーを備えた広い開口部をもつガレージハウスがある。

もともとここは、施主であるSさんのご実家。現在もガレージハウスの隣にはお母さまが住む築40年以上の家があり、Sさんのお住まいはこの至近に位置しているという。つまりこのガレージハウスは、Sさんの趣味の家ともいえる空間で、時間が許す限り訪れているというセカンドハウスだ。

さっそくガレージを拝見すると、アストンマーティン V8ヴァンテージSロードスターが、ほぼピッタリ収まっていた。絵的にとても美しく、しばらく見とれてしまったほどだが、これは出し入れが大変だ……と思った瞬間、不思議な光景を目の当たりにすることになった。

Sさんがガレージ内のスイッチを操作すると、スルスルと音もなく厳かにコバルトブルーのアストンが庭にスライドしてきたのだ!

取材陣が驚いている様子を優しく見守っているSさんに、この空間のコンセプトを伺うと「アストンの棲み家です」と即答。改めて内部を拝見すると、愛車だけではなく、こだわりの音響機器に囲まれたプレイルームにはドラムセットなど、趣味のアイテムが満載されている。海外赴任が長かったというSさんが、長年思い描いていた理想の空間が、まさに形になったという印象だ。
 

長年思い描き続けたガレージには、Sさんの夢が満載

Sさんの夢を現実のものとすべくパートナーとして選ばれたのは、設計と施工を担当した平成建設。地元企業であるこの会社の社長が、Sさんの学生時代の同級生だったことの縁であり、実際の設計を担当したのは平成建設の建築士、池上和宏さんだ。

スライドする電動パレットを備えている点が、S邸の最大のトピックであることは間違いない。このユニークな仕掛けから想像するに、Sさんの設計依頼はさぞかし凝ったものだったのだろう。そう思ってさっそく池上さんに聞いてみると、Sさんからの希望は、念願の愛車であるアストンマーティンを収めるためのガレージであること。思う存分音楽が楽しめるオーディオルームがあること。部屋に居ながらにして空が眺められることの3点のみ。

しかも、ガレージに関しては、とくに難しい注文はなかったという。池上さんからSさんへのファーストプランは、外観のイメージに若干の相違こそあったものの、ガレージの仕掛けなどのアイデアには賛同してもらい順調にスタートを切ったとのこと。しかし苦労された点もあったようで、

「比較的早い段階でプランのイメージは描けたのですが、そのアイデアを実現するために苦労をしました」と池上さん。

「それはガレージの場所です。ガレージを庭の中央付近に建てられれば問題はなかったのですが、じつはそこが市街化調整区域となっているため、新たな建築物が建てられなかったのです。そのため、ガレージとプレイルームは母屋と繋げる形で、市街化調整区域に入らないギリギリのところまでとってあるのです。そのような理由からガレージは、必然的に現在の場所に決まりました。しかし、そうすると今度は、道路への出入り口からガレージへのアクセスがとても困難になってしまったのです」

その解決策がスライド式のパレットということ?

「そのとおりです。ガレージの位置や道路への出入り口が決まっている状況で、限られたスペースを最大限に生かすには、車を横にスライドさせるしかないなと。ところが、いざ探してみると横にスライドする電動パレットを取り扱っている業者は皆無でした。そのため、S邸専用にワンオフで製作してもらったものなのです」

このアイデアによって、愛車への乗り降りが余裕をもってできる。ガレージ内に排気設備が不要。庭先での洗車時にも十分なスペースを確保できる。母屋にあった縁側を生かすことができ、そこからの眺めも満喫できるというプラスのメリットも提案できたという。加えて池上さんは、ガレージの入り口には、あえてダイナミックに開閉する1枚もののオーバースライダーを提案した。スライド式パレットと相まって、アストンが出入りする際の一連のプロセスはじつにドラマティックな演出となった。

これらによりSさんがアストンで出動する際には、一つひとつの動きがドライブへの期待感を高める儀式ともなっている。あまり車には詳しくないという池上さんが、入念なディスカッションによりSさんの思いを正確に感じ取り、それを最大限提案に生かしたことは想像に難くない。そんな儀式の主役であるアストンマーティン V8ヴァンテージSロードスターを愛車に選んだ理由は、

「オープン2シーターであることと、FRレイアウトであるという点です。フェラーリ 458スパイダーという選択肢もあったのですが、試乗をしてみると(ミッドシップの458は)エンジン音と排気音がごっちゃになって、後方から聞こえてくるのが気に入らなくて却下となりました。FRであることは、私のサウンドに対するこだわりでもありますね」とのこと。

Sさんは現在、週に1回のペースで、伊豆や箱根のワインディングロードでアストンを走らせているという。走り屋のメッカともいえるフィールドがガレージから30分圏内という理想的な立地もうらやましい限りだが、さぞかし伊豆や箱根の山中に、アストンの爽快は咆哮を響かせていることだろう。

今回の取材でとくに印象的だったのは、取材中つねに愛車のことや趣味のことを楽しそうに語るSさんの姿だ。好きなものに囲まれた趣味の時間をとことん味わい尽くす。S邸は、そんなガレージハウスの楽しみ方を改めて教えてもらった好例である。
 

▲1枚もののオーバースライダーが厳かに開き、趣味の世界があらわになる ▲1枚もののオーバースライダーが厳かに開き、趣味の世界があらわになる
▲ガレージ内のスイッチにより、パレットが静かにゆっくりと庭にスライドしてくる ▲ガレージ内のスイッチにより、パレットが静かにゆっくりと庭にスライドしてくる
▲Sさんの好きなコバルトブルーのヴァンテージ・ロードスターが、同じく濃いブルーに彩られたパレットに載って庭の中央に登場する ▲Sさんの好きなコバルトブルーのヴァンテージ・ロードスターが、同じく濃いブルーに彩られたパレットに載って庭の中央に登場する
▲天窓の設置により、明るく開放的なガレージ ▲天窓の設置により、明るく開放的なガレージ
▲ガレージ内には、母屋の縁側を利用した応接スペースも設けられている ▲ガレージ内には、母屋の縁側を利用した応接スペースも設けられている

【施主の希望:思い入れが深いからこそシンプルなオーダーに】
■ガレージを見ると、建築家への依頼は細かく多岐にわたるものと想像したが、そうではなかった。

①長年の海外赴任中から思いを寄せていた念願のアストンマーティンを収めるにふさわしいガレージであること
② Sさんがこだわってセレクトしたオーディオ機器で、思う存分音楽が楽しめるプレイルームがあること
③部屋に居ながらにして、空が眺められるような天窓があること

の3点。深い思い入れがあるからこそ、シンプルなオーダーになったという印象だ。

【建築家のこだわり:S邸の歴史を考慮して新旧をバランスさせた】
■ガレージだけではなく、庭園にも池上さんのアイデアが。もともとあった松や梅、つつじなどの植栽は、Sさんの要望もあって新たに生まれ変わった庭園に移植。欧風のガレージと和の庭園をマッチさせるために、ガレージ外には落ち着いた色合いの輸入石材を敷き調和を取った。

さらに、プレイルームのフロアと庭園とを繋げるウッドデッキや、庭の築山を同レベルに揃え全体をフラットにしたことにより開放感を演出していることも美しさの理由だ。
 

■主要用途:専用住宅
■構造:増築部(木造平屋建て)/既存部(木造2階建て)
■敷地面積:126.90平米うち増築部(40.34平米)
■延床面積:158.71平米うち増築部(40.34平米)
■設計・監理:株式会社平成建設
■TEL:055-962-1000
 

text/菊谷聡
photo/木村博道

※カーセンサーEDGE 2017年10月号(2017年8月27日発売)の記事をWEB用に再構成して掲載しています